岡林信康/今日をこえて(1970)

わたしを断罪せよ(通常プラケース仕様)

岡林信康は、日本語ロックの礎を築いたひとりだ。

1968年にシングル「山谷ブルース」でデビューすると、彼を中心にして日本にフォーク・ブームが巻き起こり、「フォークの神様」とも呼ばれた。

それは多分に彼のイエス・キリストを思わせる髭面の風貌と、1stアルバム『わたしを断罪せよ』のジャケットのイメージなどにも影響されているだろう。もともと彼は滋賀県の教会の牧師の息子で、熱心なキリスト教信者だったのだが、それにいろいろと疑問を持った反動もあって社会主義的な思想に傾倒したらしい。

「山谷ブルース」や「友よ」など、フォークのイメージが強い岡林信康だけれど、ボブ・ディランの影響でロックに転向すると、はっぴいえんどや早川義夫らのガチ勢に手伝ってもらいながらではあるけれども、日本語で歌うロックのスタイルを確立し、若者たちに圧倒的な支持を得た、日本語ロックの開祖の1人だとわたしは思っている。

この曲は、1stアルバム『わたしを断罪せよ』のオープニング・トラックだ。
この曲こそ、メロディといい歌詞といい、サウンドはまあギリギリだけど、若者たちの共感を得、熱い気持ちにした、最初の日本語ロックの名曲のひとつなんじゃないかとわたしは思っている。

くよくよするのは もうやめさ
今日は昨日をこえている
昨日に聞くのも もうやめさ
今日をこえた明日がある

なんとでも言うがいいさ
良い子でいたい おりこうさん

あんたにゃわかるまい 今日を乗りこえて
明日に生きることなんか

(作詞・作曲:岡林信康)

自分たちの世代を「今日」と歌い、親の世代を「昨日」として、僕らは親の言いなりになっている「おりこうさん」ではだめだ、「明日」に生きるべきなんだ、という、世代間の断絶と、大多数の「おりこうさん」な同世代たちへ「あんたにゃわかるまい」と、当時の意識高い系からの喧嘩腰のメッセージが歌われている歌だ。

今の若者には、そこまで上の世代に対する否定的な考え方というのは共感できないかもしれないけれども、この時代は「戦争をした世代」への「戦争を知らない世代」の対立でもあったし、多少傲慢ながら「自分たち若者がこれからの時代の主役なんだ」という強い意識があったのだろう。
良くも悪くも旧来の慣習や価値観が足かせとなって、まだまだ日本は欧米各国に比べていろんな意味で遅れていると考え、新しい世の中を待望する考えが強かったのだ。

当時からすでに50年が経った今では共感できないところもあるだろうけど、しかし今聴けば、社会の中で生きながら、旧態依然としたタテ社会や理不尽な毎日の中で闘っている若者などには共感できる歌詞にもなるんじゃないかな、とは思う。
そんなふうに、時が経過してもその時代に合った解釈で心に刺さり、共感できる歌こそが、永遠の名曲と言えるのかもしれない。

この曲は全部で4番まであって、なぜか1番と2番が同じ歌詞、3番と4番が同じ歌詞で、それで結局6分というのは長すぎるとは思うけれども、そういうのも含めて全体的にディランの影響なのだろう。

そしてまたこの曲は、2ndアルバム『見る前に跳べ』のラストにも収録されていて、こっちはバックがはっぴいえんどで、よりロックなアレンジなんだけれども、テンポが遅すぎてスピード感が無く、わたしはあまり好きではないのだ。

「今日をこえて」の歌詞はこちら

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