岡林信康/自由への長い旅(1970)

自由への長い旅(シングル・バージョン) / 今日をこえて [Analog]

【ニッポンの名曲】#8
作詞・作曲:岡林信康

「フォークの神様」などという、あんまりカッコ良くはない称号で岡林信康が讃えられたのは、プロテスト・ソングを歌うシンガー・ソング・ライターとして日本で初めてブレイクし、若者たちに絶大な影響を及ぼしたからだが、さらに彼が教会の牧師の息子として生まれ、なんとなくイエス・キリスト風の風貌であることも無関係ではないのかもしれない。


日本では70年安保闘争が目前に迫り、アメリカではベトナム戦争の反対運動や公民権運動が盛んになり、”政治意識高い系”が若者の間で流行になった時代だった。

岡林の最初期のヒット曲「友よ」は活動家たちの愛唱歌のようになり、「手紙」で部落問題を、「チューリップのアップリケ」で貧困問題を、「山谷ブルース」「流れ者」では労働問題について歌いながら、今で言う格差社会の構造を批判してきた。

昔わたしが持っていた最初期のライブ盤には「労働者のみなさん、団結しましょう」と語り掛けるシーンなんかもあった。

そう、当時は政治や社会に対する問題意識が芽生えると、社会主義的な、左翼的な考え方で理解・批判していくものだったのだ。

社会に格差が生まれるのは、資本主義社会の構造のせいである。
すべての人が平等であるべきだから、ブルジョワを排し、労働者に富を分配すべきだ。
中国やソビエト連邦のように。

みたいな。
まだ「思想」のバリエーションが少なく、それ以外の選択肢はあまり出回っていなかったのだ。


しかし岡林信康はボブ・ディランに影響を受け、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のようなロックをやりたかった。

自分の書いたプロテスト・ソングが、あまりにも政治活動に利用され、左翼的なレッテルがべったりと貼られ、望んだものとは違う形で神格化され、売れれば批判され、支持されればされるほどアーティストとしては不自由になり、精神的にも疲弊してしまったのだろう。岡林は、この人気絶頂だった時期に、ライヴをすっぽかして失踪し、そのまま半年以上も行方をくらましている。


この「自由への長い旅」はそんな状況で作られた曲だった。
「自由」のために歌ってきたはずだったのに、それが彼をどんどん追い込んで不自由にしていったのだ。

「フォークの神様」などと呼ばれていても、実際は社会経験もほとんど無い、24歳の若者だった。
わたしも24歳だった頃があるのでわかるが、24歳なんて、クソガキみたいなものだ。

この「自由への長い旅」は、若い頃にありがちな、あふれる情熱によって信じ込んだり、そして間違ったりを繰り返す、迷路をさまようような不安な気分がにじみ出ている、その意味でリアリティのある名曲だと思う。