名盤100選 82 ディクシー・チックス『テイキング・ザ・ロング・ウェイ』(2006)

テイキング・ザ・ロング・ウェイ

米国のみならず世界を騒がせたディクシー・チックスにまつわる”事件”の発端は2003年3月10日にさかのぼる。
そのときまでディクシー・チックスは、テキサスの女性3人によるカントリー系グループとして1990年にデビューし下積み時代を経た後、メンバーチェンジをして98年と2000年に発表した2枚のアルバムが連続して1,000万枚以上の売り上げとなって大ブレイク、史上最高のレコードセールスを記録した女性グループとして成功を収め、人気を不動のものとしていた。

2003年3月10日ロンドンでのコンサート中、リード・ヴォーカルのナタリー・メインズが観客に向かってこう語ったのがすべての始まりだった。
「みんな知ってると思うけど、あの大統領が私たちと同じテキサス出身であることを恥ずかしく思うわ」彼女はイラク侵攻に向けて準備中であった当時のブッシュ大統領を批判したのである。
反戦ムードが高まっていたロンドンの観客たちからは歓声が上がった。カントリースター達がこぞって戦争支持の曲をリリースする中でのこの発言はまるでパンクロックのアーティストのようだった。
メインズはさらにその2日後、「大統領が多くのアメリカ人の意見を無視し、世界と隔絶しようとしているように思えます」とも話した。

これらの発言がイギリスの新聞に載り、アメリカのメディアがそれを拾い上げたことによって、アメリカではディクシー・チックスに対する激しい反応が巻き起こった。
「メインズはアメリカの頂点にいる人物に敬意が足りず、しかも海外で批判すべきではない」
「今から戦争しようってときに大統領の悪口を言うとは非国民だ」
「ビジネス的にも、カントリーを好む保守層の聴衆が腹を立てるからメインズは政治な立場を表明すべきでなかった」
といったような批判であったらしい。

全米1200のラジオ局を傘下に持つクリアチャンネルグループは、こう表明した。
「我々の街とリスナー、そしてアメリカ軍兵士へ敬意を示すため、ディクシーチックスをプレイリストから外しました」
同様に、多くのカントリー・ラジオ局のプレイリストからも外されることになり、ラジオ局の前には「ディクシー・チックスCD廃棄箱」も設置された。
さらにルイジアナ州のカントリーラジオ局KRMDでは「ディクシーチックス廃棄デー」を開催し、”元”ファンから集めたCDなどをトラクターで潰したあと、集まった人たちが踏みつけた。
コロラド州のラジオ局のDJの2人は、ディクシー・チックスの曲をかけようとして停職となった。
ラスベガスで開催されたカントリーミュージック協会の賞のセレモニーで、最優秀エンターテイナーとしてノミネートされたことがアナウンスされるとブーイングが起こり、アカデミー賞を受賞したカントリー歌手トビー・キースが公然とグループを批判した。
アメリカ赤十字はディクシー・チックスからの100万ドルの寄付を断った。
そしてテキサス州ダラスでは、コンサート中に銃で撃つという、日時指定の殺人予告まであった。

このような過激な反応から、アメリカ大統領というものは、日本で言えば総理大臣よりは天皇に近い存在なのだろうと思う。
グリーン・デイやパール・ジャムなどが大統領批判をするのは普段からめずらしくもないのに、ディクシー・チックスに対してはこれだけの強い反発があるというのは、やはり彼女たちがカントリーというジャンルに属するアーティストだからだろう。
日本で言えば、忌野清志郎や遠藤ミチロウが天皇批判をしても誰もべつに驚かないが、演歌歌手である石川さゆりが天皇批判したら大騒ぎになるようなもので、これはまあたしかにインパクトが強かろうと想像できる。

ブッシュ大統領本人は、この騒ぎについて次のように語った。
「ディクシー・チックスは思ったことを述べたまでだ。気にしていないよ。だって思ったことを話し、行動に移す権利は、アメリカ人として当然保有しているわけだから。そういったところこそ、アメリカが他国と差をつけているポイントだね。それを荒れ果てたイラクの地にも与えるんだ!」

ここで選んだアルバム『テイキング・ア・ロング・ウェイ』はそのから3年、2006年に発表されたアルバムである。メタリカやレッチリのプロデューサーであるリック・ルービンを迎えて作られたため、ロック好きにも受け入れられやすいアルバムとも言える。シンプルで、キャッチーで、力強い。わたしがその年最も繰り返し聴いた曲は、このアルバムの冒頭を飾る”The Long Way Around”である。

カントリー界と保守層の批判にさらされ、ラジオのエアプレイも最小限でありながら、このアルバムはポップチャートでもカントリーチャートでもNo.1となった。
さらにその年のグラミー賞では、最優秀アルバム賞、最優秀シングル賞、最優秀カントリーアルバム賞など5冠に輝き、主要な賞を独占してしまった。
3年にわたる彼女たちの戦いに、けりがついたのである。

そしてご存じのように、結局イラクにはブッシュの言う大量破壊兵器など無かった。
ナタリーとディクシー・チックスは正しかった。

2006年、かつて騒動の発端となる問題発言をしたロンドンの同じ会場で、再びコンサートを開くことになった。発言が注目される中、MCでナタリーはこう言った。
「犯罪現場に戻って来たわ…何を言おうか全く考えてこなかったのだけど、やっぱりアメリカ大統領が私と同じテキサス出身なのを恥ずかしいと思う、って言っちゃおうっと!」
もちろんこの発言は観客に大歓声で迎えられた。

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