今週の”食えなかった名盤”たち九題【食わず嫌いロック】#21

今週も数々の食わず嫌いロックの克服に挑戦してみたものの、あまりに素晴らしすぎるか、あまりに深すぎるかで、残念ながらわたしの駄耳がついていけず、食わず嫌いを克服できなかったロッククラシックの名盤たち9タイトルを、恥を忍んで記しておこう。

各々の代表曲の動画も挙げておくが、これはお読みのみなさんにはわたしの感想などに惑わされずに好きになっていただければ、という願いを込めてのものである。


Rising -Hq/Download- [12 inch Analog]

Rainbow
“Rising” (1976)

ディープ・パープルを脱退したギタリスト、リッチー・ブラックモアが中心になって結成したバンド、レインボーの2nd『虹を翔ける覇者』(1976) を聴いてみた。

レインボーの代表作であり、当時のアルバムチャートは全英11位、全米48位、そして日本ではオリコン総合チャートで12位という好セールスで、日本でもかなり人気が高かったことが窺える。

わたしは若い頃からハード・ロック食わず嫌いで、その界隈を避けて生きてきたけれども、このアルバムはまさにわたしのイメージする「苦手なハード・ロック」そのままだった。

仰々しくて分厚いサウンド、朗々とオペラみたいに歌うヴォーカル、明らかに弾きすぎなギター、ヨーロッパ趣味の重々しいシンフォニックな楽曲など、これぞわたしの苦手なハード・ロック、という感じなのだ。

最近は随分ハード・ロックの名盤の食わず嫌いを克服できていい気になっていたけれども、やっぱり無理なものは無理だなあ。。


スモーキン(紙ジャケット仕様)

Humble Pie
“Smokin’” (1972)

スモール・フェイセズのヴォーカリストだったスティーヴ・マリオットやギタリストのピーター・フランプトンらによる英国のバンド、ハンブル・パイの代表作『スモーキン』(1972)を聴いてみた。

活きが良くて、華のあるブルース・ロックで決して悪くないと思うが、わたしはもう今さらこの手の60年代から続く王道ブルース・ロックに「戻る」のはもうないかなという気がする。どうせならもっと変わったものが聴きたい。勝手なこと言ってすまないけれども。


Full House Live

J.Geils Band
“Live Full House” (1972)

1981年に大ヒットしたシングル「堕ちた天使 (Centerfold)」で広く知られている米マサチューセッツ出身のバンド、J.ガイルズ・バンドが1972年にリリースしたライヴ・アルバム『フル・ハウス』を聴いてみる。

こちらもまた全編熱いブルース・ロックで、あのアホらしい「堕ちた天使
」の面影はどこにもない。観客の盛り上がりも最高潮で、壮絶なブルース・ハープなど聴きどころも多い名ライヴだ。

というのはよくわかったが、やっぱりブルース・ロックへはもうあんまり戻って行こうとは思わないのだ。勝手ばっかり言うけれども。


Cat Scratch Fever

Ted Nugent
“Cat Scratch Fever” (1977)

米デトロイト出身のハード・ギタリスト、テッド・ニュージェントの3rdアルバム『傷だらけの野獣』(1977) を聴いてみる。

陽キャのパーティー・ロックンロールという感じだ。悪くはないと思うけれども、なんとなく苦手なタイプだ。わたしは若い頃から死ぬほど陰キャなので。

昔からわたしは、同じ空間にくだらない陽キャのアホがいると一言も口がきけなくなったものだ。なんとなくそんなことを思い出してしまった。

別にテッド・ニュージェントはいいやつなのかもしれないけれども。あくまで音楽から想像したわたしのいやらしい偏見である。


On the Level

Status Quo
“On The Level” (1975)

英ロンドンのバンド、ステイタス・クォーが1975年にリリースした8枚目のアルバムで、初の全英1位となった代表作『オン・ザ・レヴェル』を聴いてみた。

日本ではあまり知名度の高くないバンドだが、イギリスでは現在まで60年以上も活動を続け、多くのヒット曲を持つ国民的バンドらしい。

ドラムが賑やかしく、ギターがストロークでザクザク刻んでいく、ややハードめながらカラッと明るいブギー・ロックが中心のアルバムだ。オリジナリティはあまり感じられないが、国民的人気というのも納得できる、「大衆ロック」という褒め言葉が相応しいバンドだ。

ちなみに「Status Quo」とは「現状維持」という意味らしい。
ロックバンドとしてはめずらしい志を掲げたバンドと言える。


Boston (Reis)

Boston
“Boston” (1976)

米ボストンのバンド(と言ってもトム・ショルツというオタクが自宅スタジオでひとりで作った)、ボストンの『幻想飛行』(1976) を聴いてみる。世界中でめちゃくちゃ売れたアルバムだ。

わたしだって随分丸くなって、物分かりもよくなり、許容範囲も昔に比べたら何倍にも広がったはずなのだ。だから冒頭の「モア・ザン・フィーリング」なんて「なかなか良い曲じゃないか」と思えるほどになってきた。

なので調子に乗ってアルバムを聴いてみたが、やっぱり無理だったなあ。

2曲目以降も立派なよく出来た曲が並んでいるが、なぜか一瞬も心に刺さらない。別にポップであることが悪いなんてまったく思わない。むしろ良いことだし、商業的であることもちっともマイナスじゃない。

それこそ幻想のようにつかみどころがなく、リアリティを感じられず、自分が不感症になったのではないかと心配になるほど、何もアツいものや楽しいものが伝わってこないのだ。

聞くところによるとトム・ショルツはマサチューセッツ工科大学で電気工学を学んだ秀才らしい。残念ながら中卒バカのわたしには理解の及ばぬ世界なのかもしれない。


びっくり電話+3

10cc
“How Dare You!” (1976)

10ccの4枚目のアルバム『びっくり電話』(1976) を聴いてみる。

わたしはとにかく若い頃から今でも、オペラやミュージカルといったものが大の苦手で、演劇的要素と音楽的要素は別々であって欲しいと願っている。たとえば映画でも、音楽なんてなくてもいいと思うほどだ。音楽が一切無い映画、北野武監督の『3-4x 10月』を観たときに、激しくそう思ったな。

しかしこのアルバムにはそんな、アヴァンギャルド風の演劇的要素がたっぷり含まれている。わたしはまったくついていけなかった。


Rumours

Fleetwood Mac
“Rumors” (1977)

31週連続全米1位、2,500万枚を売るというとてつもないメガヒットとなったフリートウッド・マックの『噂』(1977) を聴く。

われわれ、バカなほうのロックファンは、1977年のロックシーンと言うとすぐにセックス・ピストルズやクラッシュなどのパンクロックが席巻したと思いがちだが、実際にはフリートウッド・マックの年だったのである。

フリートウッド・マックと言っても、60年代の『英吉利の薔薇』の頃のあのブルース・バンドとは似ても似つかない。中心人物もろとも中身をごっそり入れ替え、かわい子ちゃんを中心に据えて、極めて聴きやすい、エレガントな大人のポップスをやるバンドに生まれ変わった。

少年たちはパンクに夢中でも、もう30代になった60年代からのオールドロックファンたちはすっかり大人になっているわけで、本作のような落ち着いたサウンドを支持したのだろう。

あれ、おかしいな、わたしも今ではすっかり大人のロックファンのはずなのに、本作はちっとも琴線に響いてこない。「ドリームス」は確かに良い曲だけれども、それ以外はピンとこない。

57歳にもなっていまだに「大人のロック」がわからず、モーターヘッドなんかで盛り上がっているわたしというのも、どうしたもんだろうかと思う。ブレないと言えば聞こえはいいが、まったく成長していないとも言えるのである。


Aja

Steely Dan
“Aja” (1977)

これも1977年、バカな若者たちがパンクに夢中になっているあいだに、大人のロックファンたちに支持されて全米3位、全英5位と大ヒットしたアルバムだ。ニューヨークのバンド、スティーリー・ダンの6thアルバム『彩(エイジャ)』を聴いてみた。

スティーリー・ダンはドナルド・フェイゲン(Vo, Key)、ウォルター・ベッカー(G)の二人組で、他に腕利きのスタジオ・ミュージシャンを集めて制作されている。

ドナルド・フェイゲンと言えばわたしが16歳の時に『ナイトフライ』というアルバムの「I.G.Y.」という曲が流行っていて、ジャケでえらくカッコつけてる割には曲はくそダセェな、などと思っていたものだった。まあまあ、16歳のバカが言うことだ、許してやってくれ。

あれから40年経って、本作を初めて聴いたが、まあ、そんなに印象は変わらない。わたしにはどこがどういいのかわからない。クソつまらないと思ってしまった。

まあまあ、許してくれ。バカは40年経っても治らないらしい。

(Goro)

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