キャロル/ファンキー・モンキー・ベイビー(1972)

ファンキー・モンキー・ベイビー

【ニッポンの名曲】#13
作詞:大倉洋一 作曲:矢沢永吉

キャロルは1972年にデビューした。

それまで日本の有志たちが、英米のロックをなんとか日本にも取り込もうと四苦八苦し、日本語で歌うべきか英語で歌うべきかという議論まで長年続いていたような状況を、颯爽と現れたキャロルはあっさりと乗り越え、英語と日本語をごちゃ混ぜにした歌詞を発明し、ぐうの音も出ないほど完璧な形で和製ロックンロールを仕立ててみせた。


「ファンキー・モンキー・ベイビー」はキャロルの7枚目のシングルで、30万枚の大ヒットとなった。
キャロルの代表曲であり、日本のロックンロールのスタンダードだ。日本の「ジョニー・B・グッド」ともいえるだろう。

そもそもチャック・ベリーの「ジョニー・B・グッド」も、キャロルのカバーによって日本でも知られるようになったそうだ。それまではチャック・ベリーなんて日本ではあまり知られていなかったらしい。
今と違って、情報がなかなか手に入らなかった時代の話だ。


また、彼らはリーゼントに革ジャン、革パンツというスタイルで日本にロックンローラーのイメージを定着させたが、それはそのまま70年代の暴走族に引き継がれ、日本にヤンキー文化を誕生させた。

その意味で言うと、キャロルの護衛をしていたクールスというグループの舘ひろしや岩城滉一あたりが日本のヤンキー第1号と言えるのかもしれない。
もしもキャロルが存在しなければ、日本には暴走族もヤンキーも存在しなかったという説もある。
だから良いことなのか悪い事なのかわからないが、日本にひとつの生きざま文化を定着させたことは確かだ。


日本語と英語を混ぜた歌詞を発明したのは、キャロルのギタリスト、ジョニー大倉だった。
これには矢沢永吉も「勲一等ぐらいあげていいんじゃないか」と語っている。

残念ながら、ジョニー大倉は62歳の若さでこの世を去ってしまったが、代わりに矢沢永吉、内海利勝、ユウ岡崎の3人ができれば革ジャンに革パン姿で、天皇陛下から勲章を授与されるところを見てみたいものだ。
ヨロシク。

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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コメント

  1. turatiimaster より:

    ゴロー, thanks a lot for the article post.Much thanks again. Fantastic.