作詞:田口叔子 作曲:吉田拓郎
吉田拓郎との出会いはこの「春だったね」だった。
まだボブ・ディランなんて名前すら知らなかった頃の話だ。
字余りの歌詞を喚き散らすように唄う、歌はちっとも上手くないけど、そのなによりも「自由」を感じさせる熱い音楽に、わたしは人生最大のメガトンパンチを受けた。14歳のわたしには、彼の音楽はあまりにも自由で、カッコ良く聴こえたのだ。
そんなきっかけで拓郎にハマり、全アルバムを買い、時代はもう1980年代に突入していたというのに、わたしは過去に遡って70年代のフォーク&ロックにハマっていった。
世の中で自分だけが逆走している気分だった。
この「春だったね」は、1972年発売の4枚目のアルバム『元気です。』のオープニングナンバーだ。
『元気です。』は拓郎がインディ・レーベルのエレックレコードからメジャーのCBSソニーの移籍第一弾として発表されたアルバムであり、キャリアの中でも最も売れたアルバムだ。
オリコンチャート1位、年間チャートで2位という大ヒットだった。
この1972年という年に、よしだたくろう(当時はひらがな表記だった)のシングル「結婚しようよ」と「旅の宿」が連続して大ヒットし、アルバムも爆発的に売れたことによって、それに引火するように、当時は学生を中心にしたインディーズ・レーベルでのブームだったニッポンのフォークにも一般的な注目が集まり、メディアが取り上げ、メジャーのレコード会社もこぞってフォークのレコードを出すようになった。
吉田拓郎は、ニッポンのフォーク、ロック、歌謡曲の歴史と、そしてわたしのささやかな人生に、最も大きな影響を及ぼしたアーティストのひとりである。