吉田拓郎【名盤ベスト20】TAKURO YOSHIDA Greatest 20 Albums

拓郎ヒストリー【Blu-spec CD】(DVD付)[2CD+DVD]

1970年のデビューから52年、それまでの歌謡曲ともフォークとも違う斬新な音楽で日本の音楽界に革命を起こしてJ-POPの礎を作り、数多くの名曲・名盤を残してカリスマ的な人気を誇った吉田拓郎は、2022年でその活動を引退すると発表した。

それはいかにも拓郎らしい、潔く、清々しい引退の仕方だと思う。哀しさや寂しさよりも、心からの敬意とこれまでの感謝をこめて送り出したい気持ちになる。

わたしは中学二年で吉田拓郎の歌に出会い、雷に打たれたような衝撃を受けて以来のファンだ。後にこれも彼の影響でボブ・ディランやビートルズを聴くようになり、そのままロックの深い森へと迷い込んでしまったが、それでも吉田拓郎は常に気になり、新譜が出ればそのほとんどをチェックしていた。

そして引退の発表があってからのこの数か月、彼がこれまでにリリースした32枚のスタジオ・アルバムと16枚のライブ・アルバムを、あらためて懐かしさや新たな発見と共に繰り返し楽しんだ。
52年もの間、常に創造的でエネルギッシュな音楽活動を続けた類稀なアーティストの、それぞれの時代との闘いの跡も刻み込まれた、その人生の軌跡である素晴らしいアルバムの数々に、あらためて吉田拓郎は、破格の天才なのだと思った。

今回はその中から、名盤ベスト20を選んでみたいと思います。

20.『FOREVER YOUNG』(1984)

FOREVER YOUNG

拓郎38歳の作品。作詞・作曲・編曲・プロデュースのすべてを拓郎自身が務めている。当時の世界的なシンセサウンドの流行に逆らうことなく、打ち込みやシンセが増えてサウンドが大きく変化し、1曲目から“ペニーレインへはもう行かないよ”と歌うなど、70年代の吉田拓郎のイメージと決別しようとしているかのようなアルバムだった。

正直、わたしは打ち込みサウンドはあまり好きではないのだけれど、しかし曲そのものには良いものも多く、「ペニーレインへは行かない」「旧友再会フォーエバーヤング」「大阪行きは何番ホーム」「LIFE」「7月26日未明」など、好きな曲も多い。オリコンアルバムチャートで13位となった。

19.『無人島で…。』(1981)

無人島で…。

拓郎35歳の作品。80年代の拓郎を代表する曲のひとつ、アグレッシヴなレゲエナンバーの「この指とまれ」から幕を開ける、ややロック色の強いアルバムだ。わたしは2曲目の「春を呼べⅡ」がいちばん好きだ。

「Y」はリアルな暴露系の歌詞を早口で語るように歌い、しかしちゃんと大きなメロディは成り立っているという、いかにも拓郎らしい字余りソングで、初めて聴いたときはなかなかの衝撃だったことを覚えている。当時わたしは中学三年生。このアルバムが初めての、リアルタイムで聴いた拓郎のアルバムだった(貸しレコード店で借りたのだけど)。「風のシーズン」「白い部屋」も好きだな。

18.『大いなる人』(1977)

大いなる人

拓郎31歳の作品。当時は荒井由実や、山下達郎などのシティ・ポップの「メロウなサウンド」というものが流行していて、そんなサウンドを目指したアルバムだった、と拓郎本人がラジオで語るのを聴いたことがある。

血気盛んな若い頃にこれを聴いたときにはその優しく柔らかい質感のアレンジと、全体に抑えた感じの拓郎のヴォーカルがなんとも物足りない気がしたが、今聴くと完成度も高く、心地よい統一感のあるアルバムになっていると思う。全曲の編曲を担当したのは元はっぴいえんどのギタリスト、鈴木茂だ。この人も本当に才能豊かだ。

一番好きな曲はやっぱりシングルカットもされた「カンパリソーダとフライドポテト」。他にも「乱行」「大いなる」「歌にはならないけれど」などはちゃんと拓郎らしくて好きだ。アルバムはオリコン3位まで上がるヒットとなっている。

17.『Long time no see』(1995)

Long time no see

拓郎49歳の作品。このアルバムまでの10年ほどの打ち込みやシンセ強めのサウンドがあまり好みじゃなかったこともあって、バンドサウンドに回帰したこのアルバムを聴いたときは嬉しかった。バハマのスタジオで録音された海外録音で、バックはL.A.の有名ミュージシャンたちが務めている。

1曲目の「とんと御無沙汰」を聴いたときは久々に衝撃を受けた。あのお盛んな拓郎が“恋も夢もとんと御無沙汰”と歌うのだ。後で阿木耀子の詞と知ったが、まるで拓郎をはじめ、アラフィフのオッサンたちの枯れゆく心境を代弁するような歌詞に感動した。しかもそれがすごく美しい言葉で、せつないながらも誠実で肯定的なこととして書かれているのだ。

中島みゆきに拓郎自ら食事に誘って依頼したという曲「永遠の嘘をついてくれ」も名曲だ。もともと拓郎のおっかけをしていたほど大ファンだった中島みゆきの拓郎へのラブレターのような歌詞にも聴こえる。

他にも、「淋しき街」「マスターの独り言」「君のスピードで」「生きていなけりゃ」などもいい。

16.『豊かなる一日』(2004)

豊かなる一日 ~TAKURO & his BIG GROUP with SEO

拓郎57歳の誕生日に肺に癌腫瘍が見つかり、手術してその半年後に行われたライヴの記録だ。瀬尾一三が指揮する大編成のバックを従えたツアーで、アレンジの完成度が素晴らしい。拓郎も病み上がりとはまったく思えない、元気そのものだ。

70~80年代のおなじみの代表曲に加え、90年代以降の新たな代表曲「パラレル」「人間の『い』」「花の店」「「朝陽がサン」「純情」「いくつになってもHappy Birthday」「僕の人生の今は何章目ぐらいだろう」などが収められ、充実した選曲になっている。「どうしてこんなに悲しいんだろう」が初めてライヴ収録されたのも嬉しかった。

15.『明日に向かって走れ』(1976)

明日(あす)に向って走れ

拓郎30歳の作品。フォーライフ設立後初めてのアルバムで、オリコン1位を獲得した。

佳曲が並び、松任谷正隆によるアレンジも柔らかく風通しの良い感じで聴きやすい。四角佳子と離婚し、独身に戻ってから初めてのアルバムでもあり、最初の2曲「明日に向かって走れ」「一つの出来事」はその別れと新たな人生のスタートについて歌われている。「我が身可愛いく」だけはアグレッシヴな曲だが(泉谷しげるの「眠れない夜」を連想するようなアレンジだ)、それ以外は比較的優しいサウンドのアルバムだ。

セルフカバーの「どうしてこんなに悲しいんだろう」は、オリジナルの独特のアレンジも捨てがたいが、こちらのアレンジも完成度が高い。シングルカットもされたタイトル曲がなんといっても良いが、堺正章への提供曲「明日の前に」や山田パンダへの提供曲「風の街」、かまやつひろしへの提供曲「水無し川」も名曲だ。

14.『Shangri-La』(1980)

Shangri-la

拓郎34歳の作品で、初の海外録音。ロサンゼルスでの録音で、プロデューサー兼アレンジャーはあのブッカー・T・ジョーンズだ。ミュージシャンもすべて現地のスタジオ・ミュージシャンで、元ザ・バンドのガース・ハドソンもサックスとアコーディオンで参加している。

この海外録音の試みは結果的に大成功だったとわたしは思う。洗練されていて力強く、カラッとして抜けが良い、凄く好きなサウンドだ。

シングル・カットされた「あの娘といい気分」、レゲエビートがカッコいい「いつか夜の雨が」が名曲だが、「帰らざる日々」「愛の絆を」「あの娘を待ってる街角」なども大好きな曲だ。アルバムはオリコン8位となった。

13.『アジアの片隅で』(1980)

アジアの片隅で

前作『Shangri-La』から半年後に出されたアルバム。どちらも傑作だが、この時期はアルバムに収録されなかったシングル曲にも「流星」「春を待つ手紙」「サマーピープル」など名曲が多く、絶好調の時期だったようだ。

岡本おさみの詩による「まるで孤児のように」「いつも見ていたヒロシマ」「アジアの片隅で」の強烈な印象で、拓郎にはめずらしい社会派の硬派なイメージのアルバムだ。

シングルカットされた「元気です」「二十才のワルツ」も名曲だ。「この歌をある人に」も好きだな。順位は前作より上がり、オリコン6位となった。

12.『ONLY YOU 〜since coming For Life〜+ Single Collection』(2011)

ONLY YOU since coming For life+Single Collection

もともとは1981年にリリースされたフォーライフ設立から6年間の間のシングルのA・B面を集めたアルバムだったが、2011年にさらに同時期のシングルから11曲が追加されて2枚組CDへとボリュームアップして再発売された。

この時期のシングルはアルバム未収録のものが多く、特にシングルB面の曲などはベスト盤にも選ばれることがないので、このとき初めて聴いた曲も多くてずいぶん嬉しかったことを思い出す。

この【名盤ベスト20】では基本的にベスト盤的なものは除外しているが、21曲中18曲までがオリジナル・アルバム未収録であり、このアルバムでしか聴けない曲も多く、ファンにとっては必須のアルバムだと思うので、これだけはランキングに加えることにした。

この時期のシングルA面曲はもう言わずと知れた名曲ばっかりだが、B面曲にも「チークを踊ろう」「流れる」「隠恋慕」など佳曲が多い。

11.『COMPLETE TAKURO TOUR 1979』(2022)

COMPLETE TAKURO TOUR 1979完全復刻盤 (特典なし)

1979年の10月と12月にリリースされた2組のアルバム『TAKURO TOUR 1979』と『TAKURO TOUR 1979 Vol.2 落陽』を合体させたCD3枚組のライヴ・アルバムだ。日本武道館と篠島のオールナイトライブの音源も含まれている。

拓郎33歳の1979年のツアーは「これまでで最も印象深いツアーだった」と本人も語っているほどで、疾風怒濤の70年代を総括するような内容になっている。

鈴木茂と青山徹のツインギターのイントロがカッコいい「知識」から始まる全35曲は、録音の状態も良く、選曲も良く、松任谷正隆のオルガンとシンセの活躍も印象的な、聴きやすいアレンジだ。
そしてなんといっても拓郎のヴォーカルが燃え尽きてしまいそうなほどアッツアツで最高だ。多くのライヴ盤の中でも、そのテンションの高さでは随一のライヴだと思う。

10.『人間なんて』(1971)

よしだたくろう 人間なんて

拓郎25歳、3枚目のアルバムだ。71年8月に岐阜県の中津川で開催された『第3回全日本フォークジャンボリー』で拓郎が酔っ払いながら2時間近くも「人間なんて」を歌ったことが伝説化し、フォーク・ブームの主役が岡林信康から拓郎に変わったことを印象付けた事件から3か月後、その「人間なんて」を1曲目に据え、タイトルにもしたアルバムだ。

しかし本当に拓郎がフォーク・ブームの主役となったのは2曲目に配された「結婚しようよ」の大ヒットだった。この「人間なんて」「結婚しようよ」というまったく違うタイプの歌が並ぶ振幅の大きさが拓郎の幅広い音楽性を象徴している。他にも「笑えさとりし人ヨ」のようなファンクナンバーや「やっと気づいて」のようなブルージーなR&Bのような曲、ブラス・ロックのような「川の流れの如く」、そしてボブ・ディランの「雨の日の女」みたいな喧騒の中で歌われる「ふるさと」もある。それまでの反体制フォークでは決して歌われそうになかった“日本に生まれ、日本に育ち、日本を愛しているはずさ”という歌詞が強い印象を残す。

岡本おさみと吉田拓郎の初めての共作「花嫁になる君に」もまた良いが、なんと言ってもこのアルバムの白眉は感動の名曲「どうしてこんなに悲しいんだろう」にとどめをさす。

9.『午前中に…』(2009)

午前中に・・・

拓郎63歳の作品。前作『月夜のカヌー』から6年、還暦を過ぎた拓郎がエイベックスに移籍しての第1作は、驚くべき傑作だった。全曲を拓郎が作詞作曲し、声も瑞々しく、年齢を感じさせない若々しさだ。

逆に歌詞の内容は、良い意味で年を取ったからこその、人への思いやりや人生についての思索満ちた、還暦のリアリティとでも言うべきものが聴ける。これもまた拓郎らしい誠実かつ画期的なポップ・ソングだと思う。

ビールのCMにも使われた「ガンバラナイけどいいでしょう」はこのアルバムの白眉で、21世紀の拓郎の代表曲だ。

「歩こうね」「フキの唄」も心に響く名曲。「ウインブルドンの夢」も良い曲だし、「Fの気持ち」はギターを弾く人なら共感できるはずの、楽しい”ギター・コードの歌”だ。
そして「早送りのビデオ」は拓郎自身の過去を振り返るような、印象深い歌。「マークⅡ」で歌われた“年老いた男が川面を見つめて 時の流れを知る日が来るだろうか”という詩に拓郎の姿が重なり、なんだかせつない気持ちにもなる曲だ。

8.『よしだたくろう オン・ステージ ともだち』(1971)

よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち

拓郎25歳の年にエレックレコードからリリースされた2枚目のアルバムで、オリコン40位。

拓郎の軽妙なMCがたっぷりと入ったアルバムで、これが面白く、会場もウケまくっている。曲よりもこの拓郎のしゃべりの印象のほうが強いぐらいの楽しいアルバムだ。その後ラジオのパーソナリティーに抜擢されたのも頷ける。

全13曲中10曲が新曲というライヴで、「もう寝ます」「老人の詩」など会場の爆笑を誘う曲もあれば、「夏休み」「イメージの詩」「ともだち」といった名曲も収録されている。斎藤哲夫の「されど私の人生」、六文銭の「面影橋から」のカバー2曲もとても好きだ。

7.『ローリング30』(1978)

ローリング30

拓郎32歳の作品。全21曲収録の大作で、2LP+1EPという仕様だった。

ビートルズやストーンズなどの2枚組大作と言えば実験精神溢れたゴチャついた内容が面白かったりするが、このアルバムはそういう感じではない。ロック色の強いものからロマンティックなバラードまで、剛柔のポップソングが並ぶスッキリとしたものだ。

21曲中18曲までが松本隆の作詞で、このあたりから松本は本格的に歌謡曲作家として花開いていく。

アルバム中の白眉はその松本隆の素晴らしい歌詞に心が震える「外は白い雪の夜」だろう。他にも「爪」「英雄」「冷たい雨が降っている」「虹の魚」「言葉」など、名曲が目白押しだ。オリコン8位。

6.『ぷらいべえと』(1977)

ぷらいべえと

拓郎31歳の作品。前年に拓郎・陽水・泉谷・小室の4人で制作した『クリスマス』が、売れると見込んで大量にプレスしたものの予想外に売れず、フォーライフは設立2年目にして大赤字となり、後藤副社長に拓郎が「会社がヤバいからアルバムが大至急ほしい。なんでもいいから」と泣きつかれて、急遽レコーディングすることになった曰くつきのアルバムだ。

新曲もない状態だったので、ボブ・ディランの『セルフ・ポートレート』を真似て、拓郎が「普段、風呂に入りながら口づさむ」愛唱曲のカバーソングと他の歌手への提供曲のセルフカバーで埋められた。

しかしこれが意外にも素晴らしい出来で、拓郎が石原裕次郎や渡哲也、郷ひろみなどを歌うという意外性もファンの興味をくすぐったか(わたしはくすぐられた)、オリコン1位の大ヒットとなり、めでたくフォーライフの危機を救った。

当時は日本にまだ「カバーアルバム」という概念がなかったため、これが日本初のカバーアルバムということになった。
シンプルなアレンジも聴きやすく、リラックスした拓郎のヴォーカルにあらためて彼の声の魅力を感じる。

5.『伽草子』(1973)

伽草子

拓郎27歳の作品。「結婚しようよ」で歌った通りに前年に四角佳子と結婚した拓郎は、その奥様とのデュエットも収録するなど、幸福感と夏の陽光の乾いた香りに満ちたようなアルバムだ。

最も好きなのはやはりタイトル曲「伽草子」だが、岡本おさみ作詞の「蒼い夏」「ビートルズが教えてくれた」「暑中見舞い」「制服」「夕立ち」も詞・曲ともに素晴らしく、大好きな名曲ばかりだ。オリコン1位を獲得。

4.『青春の詩』(1970)

よしだたくろう 青春の詩(うた)

拓郎24歳の、記念すべき1stアルバム。まだ無名のためオリコン64位とふるわなかったが、全曲拓郎の作詞・作曲による内容は、伝説の第一歩にふさわしい、画期的で素晴らしいデビュー盤だ。

当時の帯には“ロック・フォーク・ボサノバを歌いまくる”と書かれていたものだが、他にもR&Bやブルースや歌謡曲も歌いまくっている。それまでのフォーク・ソングのアルバムとは一線を画すようなポップなアルバムだ。

タイトル曲はいかにも拓郎らしい、若者たちの日常の1シーン、様々な青春の1ページを延々と描いてみせる。喫茶店で彼女とコーヒーを飲むことも、パチンコやマージャンに熱中することも、飛行機を乗っ取って革命を叫ぶことも、一日中規則通りに生きて他になんにもしないことも、同一の次元に並べて“ああ、それが青春”と歌う。当時の若者たちのまさに身の回りで起こっていること、興味を持っていることが歌われていて、そりゃあ共感し熱狂するだろうことも想像に難くない。反体制フォークのように浮世離れした主義主張や思想をのたまうのではなく、吉田拓郎はあくまで日常レベルのリアリズムを唄ったのだ。

弾き語りでシンプルに歌われる大名曲「今日までそして明日から」は今でも輝きを失わないし、デビュー・シングルの「イメージの詩」は衝撃の大曲だ。そして「こうき心」「雪」も初期の名曲として愛された曲だ。他にもノスタルジックな「兄ちゃんが赤くなった」なんかも大好きな曲だ。

3.『今はまだ人生を語らず』(1974)

今はまだ人生を語らず (通常盤) (特典なし)

拓郎28歳の作品。四角佳子との結婚生活はすでに破綻していることがこのアルバムの最後の2曲に表れている。実際、このアルバムをリリースした直後に離婚を発表している。

瀬尾一三の素晴らしいストリングスのアレンジが印象的なのが吉田拓郎を代表する名曲「人生を語らず」と、激烈に別れを告げる歌詞が凄い「僕の唄はサヨナラだけ」だ。

そして攻撃的な言葉があふれ出て止まらないような「ペニーレインでバーボン」「知識」もわたし好みだ。さらに「襟裳岬」「シンシア」といった名曲もあるし、「贈り物」「戻ってきた恋人」なんかも良い曲だ。もちろんオリコン1位となった、ジャケもカッコいい大名盤だ。

“つんぼ桟敷”という歌詞を気にしたレコード会社のバカバカしい自主規制で永らく「ペニーレインでバーボン」を削ったCDが流通していたが、ちょうど来月、オリジナル通りに冒頭に配したCDがめでたく再発売されるようだ。

2.『元気です。』(1972)

元気です。

拓郎25歳のメジャー移籍第1弾は、「結婚しようよ」「旅の宿」の連続ヒットの勢いにも乗り、オリコン15週連続1位、70万枚を売り上げる記録的な大ヒットとなった。時代が変わった瞬間だった。

「春だったね」「夏休み」「たどり着いたらいつも雨降り」「旅の宿」「祭りのあと」など拓郎の代表曲が並び、「せんこう花火」「加川良の手紙」「高円寺」なども名曲だし、岡本おさみ作詞の「こっちを向いてくれ」「まにあうかもしれない」なども大好きな曲だ。

このアルバムではギター、ドブロ、マンドリン、ベース、オルガン、ピアノなど石川鷹彦と松任谷正隆が八面六臂の大活躍でまるで拓郎と3人のアルバムのような印象だが、中でも「リンゴ」で石川鷹彦が拓郎のギブソンを弾いた超絶ギターは衝撃のカッコ良さだ。

日本のポップス史の流れを変え、”吉田拓郎の時代”の幕開けを告げた歴史的名盤だ。

1.『LIVE’73』(1973)

LIVE’73

オリコン3位のヒットとなった拓郎27歳のライヴ・アルバム。ライヴ盤と言っても13曲中10曲が新曲なので、ほとんどオリジナルアルバムのようなものだ。こんなライヴ盤は前代未聞だったが、それ以上にロック・R&B色の濃いサウンドの本格的なライヴ盤も前代未聞だった。

高中正義のギター、岡澤章のベース、田中清司のドラム、ブラスにストリングス、すべてが奇跡のように素晴らしく、アグレッシヴなロックを聴かせる。特に「マークⅡ’73」のカッコ良いアレンジには何度聴いても鳥肌ものだ。そしてもちろん「落陽」はさらに鳥肌MAXだ。

そして「都万の秋」「野の仏」「ひらひら」「君が好き」の岡本おさみ作品はわたしの大好きな曲だ。小室等の「雨が空から降れば」もアレンジも歌も素晴らしい。

わたしがこれを1位に選んだのは、間違いなくこのアルバムを一番多く聴いたからだし、吉田拓郎の最高の”ロック・アルバム”でもあるからだ。洋・邦問わず、史上最高のライヴ・アルバムのひとつだと思う。

以上、吉田拓郎の名盤ベスト20でした。

次回は、吉田拓郎【名曲ベスト50】の予定です。乞うご期待。

(goro)

記事を書いた人(Goro)

愛知県在住。中学卒業後、無知蒙昧のまま社会にさ迷い出て、底辺職を転々した後、地元の映画館に拾われる。映画館に10年勤めた後、レンタルビデオチェーンのバイヤーを20年勤め、現在は再び底辺職で肉体労働の日々に返り咲く。心に平安が訪れている。生活に不満はなし。音楽にはいろいろと救われている。「映画は映画館で観なきゃダメ派」ではない。

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